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三苫薫の父はNHK職員(元陸上選手)で母は元バレーボール選手?両親の教育方針や深い絆を紹介

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サッカー日本代表にも選ばれた三笘薫選手はカタールW杯では「戦術三苫」がトレンド入りするぐらいの大活躍でしたね。兄弟揃って大活躍ですが、そんなお二人のご両親はどんな方なのでしょうか?気になる教育方針もご紹介致します。

目次

三苫薫の父はどんな方?

三苫薫選手の父親のお名前ですが、「スポーツ報知」が報じたところでは・・・

三苫武史さん

という方のようです。

職業はNHK職員?

三苫薫選手の父親がNHKでお勤めの方ではないかとウワサされています。

というのも、「三苫武史」で検索してみると、

NHKの技術職の職員

の方でヒットするからです。

もしその方が同姓同名の別人で無く、ご本人であれば・・・

ハイビジョン番組「天国への階段」の制作 — モーションコントロールカメラを使ったCG合成
(日本放送協会技術研究所 [編])

という論文を書かれた方ということになります。

日本放送協会技術研究所」 は、つまり「NHK技術研究所」のことですので、

三苫武史さんは、NHKで技術系職員をされているということになりますよね。

また、三苫薫選手は出身地は神奈川県川崎市ですが、出生地はお兄さんと同じ、大分県日田市です。

このことから推測されるのが・・・

三苫薫選手が生まれてから父親は川崎市に転勤し、ご家族全員(母親、兄、ご本人)一緒に引っ越した

或いは、

三苫薫選手が生まれる前に父親は先に川崎市へ転勤し、残りの家族も落ち着いてから引っ越した

のどちらかでしょう。

元陸上選手だった?

三苫薫選手の父親は、

元陸上競技の選手

だったと言われています。

大きな大会の入賞したいう情報はありませんが、三苫薫選手の俊足を見る限りでは結構な実力をお持ちだったのではないでしょうか?

三苫薫の父の育て方とは?

(引用元:スポーツ報知‐父親の三苫武史さん提供)

余計な口出しはしない!

三苫薫選手の父親は、サッカーに関しては詳しくなかったそうです。

陸上競技の選手をされていたので、アスリートではありますが、分野が違うので

三苫薫選手のサッカーに関するプレーには口出しない

というスタンスだったそうです。

三苫薫選手は「川崎フロンターレユース」に所属していたので、一流の指導者に教えてもらっていました。

それを邪魔しないという考え方は素晴らしいですよね(ついつい口を出してしまうのが親ですが)。

この父親のスタンスに関して、三苫薫選手は

「ありがたかった」

と感謝しておられました。

サッカー環境を作る!

三苫薫選手の父親は、プレーに口出しはされませんでしたが、サッカーを楽しめる環境を作られていたそうです。

父親の三苫武史さんがインタビューに答えられたお話ですと・・・

薫も兄もサッカーが好きだったので、家のリビングと隣の部屋をつなげて、小さいゴールネットを置いてあげました。軟らかいボールを使って、2人でしょっちゅう「右隅狙うぞ」「今度は左隅だ」と言いながらシュートしてましたね。薫がボールを持っている時は兄が守って、兄が持っている時は薫が守って。家の中で狭い場所をドリブルで抜いたりもしていました。2人とも負けず嫌いで暇さえあればやっていました。今思えば、あの1対1が薫のドリブルの原点かもしれないですね。
(引用元:スポーツ報知

父親の三苫武史さんは、

リビングと隣の部屋をつなげて、ボールが蹴れるようなスペースを作る
小さいゴールネットを置いて、ミニサッカーが室内で楽しめる

といったサッカーにいつでも親しめるような環境作りをされていたのですね。

もう正に、「ボールはともだち」の世界感なので、三苫薫選手が「キャプテン薫」だったのも納得ですね。

本物を見せる!

三苫薫選手が本格的にサッカーに興味を持ちだしたキッカケは・・・

2002年「日韓ワールドカップ」

だったと父親の三苫武史さんがおっしゃっていました。

・・・若いですよね、我々がサッカーに興味を持ったキッカケは1981年連載開始の「キャプテン翼」と1982年「スペインワールドカップ」でしたが・・・。

サッカーに興味を持ち始めた兄弟に対して、父親の三苫武史さんは・・・

日本代表の応援の為にスタジアムへ何度も連れて行った

そうです。

いや、これスゴイことですよね!

生のサッカーの試合
日本代表というトップレベルの試合
何度も見せる

という、正に「本物を知ることで高いレベルが身に付く」という教育をされています。

当時、三苫薫選手は5歳、お兄さんは8歳という若さでこういったものを吸収させるのは非常に良いことですよね。

ちなみに、当時の入場チケットはかなりのプレミア物で普通には入手困難でした。

三苫薫の母はどんな方?

三苫薫選手の母親のお名前ですが、公表はされていません。

元バレーボール選手

元々はバレーボールの選手だったそうですが、ご結婚前の旧姓やお名前が不明ですので詳しい情報は分かっておりません。

そう考えると、三苫薫選手のあの瞬発力は母親からも譲り受けたものみたいですね。

またご自身もスポーツをされていたので、サポートの仕方についても普通の人以上にご理解されていると思われます。

職業は?

ご職業に関してですが、専業主婦では無いようです。

というのも三苫薫選手が小学生の時は、帰るのが遅かったらしいので、どちらかにお勤めされていたのではないでしょうか?

三苫薫選手の父親がNHK職員だとしたら、お二人が出会われたのも、もしかしたら「同じ職場」か「メディア関係」といった接点があったかもしれませんね。

三苫薫の母の育て方とは?

遅くなっても食事を準備して待つ!

三笘薫選手は以前、インタビューで母親について聞かれた時にコメントされたいたのが・・・

「練習から帰るのが遅くなってもご飯を作って待っててくれた。」

とおっしゃっていました。

三苫薫選手は小学生から「川崎フロンターレユース」に所属していたので、練習が遅い時は夜の22時になることもあったそうです。

それでも、毎回、ご飯を準備して待っていてくれたそうです。

料理を作って待っているというのは大変ですけど、こういう行動が精神面でも非常に心強いサポートになったことでしょう。

結果、三苫薫選手はサッカーに打ち込むことができたのだと思います。

良かった所を褒める!

三苫薫選手が、試合で本当に悔しい負け方をした時だけ・・・

良かった所を褒めて

くれたそうです。

これは、バレーボールを経験されていたからなのか、器が大きいのかは分かりませんが、非常に大事なことですよね?

ついつい、「何であそこであんなプレーをしたの?」とダメ出しをしそうですが、そうなると才能って伸びないんですよね。

また、普段から褒めてばかりだと、効果が薄くなったりするので、

ここぞという時にだけ褒める

というのは見習いたいと思います。

食事の内容にこだわる!

三苫薫選手の好物は、

茶そば

だそうです。

STORY web のインタビューで、三苫薫選手がコメントされたいたのが・・・

俺は、中学の時、体が小さいのが悩みで。それをカバーするために、技術を磨こうと頑張っていた。その時よく母さんが茶そばを出してくれた。練習後に食べる茶そばが、めちゃくちゃ美味しくて大好物だったな。
(引用元:STORY web

三苫薫選手の母親は、「体が小さい」と悩んでいる子供に「茶そば」を食べされる発送はスゴイですよね。

というのは、実は「茶そば」の栄養価ですが、

必須アミノ酸:体内で生成されない
植物性タンパク質
ビタミンが豊富:免疫力を高める、疲労回復、胃腸促進など
ルチン:ビタミンP(そばからしか摂取できない)は血管強化

など非常に優れた食べ物であることが判明しています。

三苫薫選手の身体能力が非常に優れているのも、こうした母親の見識のおかげだと言えますね。

優しい心を育ませる!

三苫薫選手は超一流のサッカー選手になりましたが、それでも母親への感謝の気持ちをハッキリと述べる優しい人でもあります。

そんな一面が垣間見られたのが、母親への手紙でした。

(引用元:STORY web

小学生からユースでサッカーをするぐらいですから、まあワンパク小僧だったことでしょう。

しかし、手紙の直筆はとてもキレイで上手ですよね?

「文字は人の心を表す」とも言いますし、母親への素直な感謝な気持ちが綴れるのも、優しい心を持つように育てたからではないでしょうか?

ご結婚された相手も、三苫薫選手の心優しいところが決めただったのかもしれませんよね?

ちなみにご両親が仕事で遅い時などは、お隣さんでゲームを遊ばせて頂いていたそうです。

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