第5回WBC日本代表のメンバーで優勝した栗山英樹監督率いる侍ジャパンの投手コーチだった吉井理人(よしい まさと)さんもイケメンコーチとして話題になりました。ご家族(妻や子供)について調査しました。また監督との対立の真相や和解についても紹介致します。

吉井理人のプロフィール
吉井理人(よしい まさと)さんの簡単なプロフィールをご紹介致します。
吉井理人(よしい まさと)さんは1983年のドラフト2位で近鉄バファローズ(現在は消滅し、オリックスバファローズに吸収合併)に入団されました。

現役時代
近鉄バファローズ時代は、プロ5年目の1998年に
のタイトルを獲得されるなど、人気だけでなく実力も素晴らしかったです。
当時は、「熱パ」と言われ、セ・リーグよりも盛り上がっていました。
そんなパ・リーグで首位争いをするチームのリリーフエースですから、吉井理人の人気も凄かったです。
ただ、同時に「力任せの投球」や荒々しい性格やコメント(巨人に対して「気の抜ける打線」など)、危うい感じも兼ね備えていました。
まあ、当時の近鉄は荒くれ武者のような軍団でしたから、関西人からしてみれば普通なのですが・・・。
しかし、赤堀元之投手のリリーフエースとしての台頭や、監督との軋轢などもあり、ヤクルトスワローズへ移籍することになりました。
移籍後は、野村克也さんが監督として吉井理人さんを厳しくも優しい指導で先発投手として
という素晴らしい実績を残されました。
その後は、野村克也さんの心意気(戦力低下よりも吉井理人さんの事を優先)や近鉄時代の仲間であった野茂英雄さんの後押しもあり、
となりました。
を挙げられたのもスゴイですが、その経験が後にコーチとしての糧にもなりました。
コーチ時代
吉井理人(よしい まさと)さんは現役引退後、2008年から北海道日本ハムファイターズのコーチをされていましたが、この時は
「仕方なしにやっていた」
そうです。
そして、2012年には急遽コーチ契約の更新をしないで退団となりました(後述)。
その後、野球解説者をされ、2014年4月から
へ工藤公康さんや仁志敏久さんと一緒に入学されました。

共に、「野球コーチング論研究室」で、野球の指導に関する理論などを研究されたことで、経験に加えて知識としての指導方法を習得されたようです。
この時のご学友である工藤公康さんが福岡ソフトバンクホークスの監督就任に伴い、1軍投手コーチとして呼ばれました。
2015年の優勝に貢献するも、修士論文を仕上げる為に退団されました。
2016年からは北海道日本ハムファイターズの一軍投手コーチに復帰され、2018年まで在籍されました。
そして、2019年からは千葉ロッテマリーンズの投手コーチとして、佐々木朗希選手の指導をされます。

それは、何よりもケガをしない体つくりを優先としたもので、その結果、佐々木朗希選手はプロ野球、そして世界でも大活躍することになりました。
WBCでは投手コーチとして、上手く選手を導いたようです。
監督として
遂に、吉井理人(よしい まさと)さんが2023年から
になられました。
監督として、どういった采配をされていくのか楽しみですね。
吉井理人の家族(嫁や子供)
吉井理人(よしい まさと)さんはご自身の家族については何も公表されていません。
エピソードとしては、2007年に千葉ロッテマリーンズから戦力外通告を受けた時に、
といった話が有名です。
また、コーチとして北海道や福岡などへ引っ越しされた際も、
というウワサが出ています。
更には、タレントの森脇健司さんが、
と遭遇されたことがあるそうです。
こういった情報から、吉井理人さんには
家族がいる(妻がいて、子供がいる)
家族は大阪在住
結婚したのは近鉄バファローズ時代
といったことが推測できます。
吉井理人の子供の名前?
吉井理人(よしい まさと)さんはご自身のブログで、
新年、あけまして、おめでとうございます。
今年も、よろしくおねがいします。
うちのむすめ、初登場です。
(引用元:吉井理人オフィシャルブログ)
と娘をご紹介されていました。
その娘さんの画像がこちらです(吉井理人オフィシャルブログより引用)。

実はこちらの牝馬(ひんば)は競走馬です。
吉井理人さんは大の競馬好きで、現役を引退された後、
を取得されました。
こちらの娘に、
というお名前を付けられました(馬主には名付けの権利があるので)。
ちなみに、野球の「フォーシーム」はいわゆる「ストレート」のことです。
ちなみに競走馬のフォーシームの簡単なプロフィールをご紹介致します。
フォーシームのプロフィール
血統を見て頂ければわかるように、超良血馬です!
ただ、実績に関しては
と全兄・メイショウサムソン(獲得賞金:10億6,594万円)には遠く及びませんでした・・・。
これが競馬の厳しい世界であり、勝負の厳しさなのです。
栗山英樹との対立の真相とは?
吉井理人(よしい まさと)さんが2012年に北海道日本ハムファイターズの一軍投手コーチを突然退任した原因として、
栗山英樹監督との対立が原因
とウワサされていました。
2012年11月4日、吉井理人さんは報道陣に対しては、
「監督とうまくいかないで迷惑をかけることもある。作戦を決めるのは監督。僕が邪魔になるのならいない方がいいと思い、こうなりました。監督との折り合いが悪いことは選手も分かっていた。このままだとチームのマイナスになると思った」
(引用元:Number Web)
吉井理人さんと栗山英樹監督との間で、投手起用に関しての意見の食い違いはペナントレース中から全員が知っていたようです。
それを吉井理人さんが聞いて初めて、翌日の先発投手を知るという異常事態が起こっていたそうです。
投手コーチに相談も無く、監督が独断で先発投手を決めるというのは、吉井理人さんとしてはやりにくかったのではないでしょうか?
栗山英樹との和解について
対立疑惑があった2012年から3年後の2015年、
吉井理人さんが2016年から北海道日本ハムファイターズの投手コーチに復帰することが決まりました。
その発表には、栗山英樹監督も一緒のおられました。
栗山英樹監督は2012年の対立疑惑について、
「監督とコーチは全ての意見が合っているわけではない。みんなやるべきことがある。うちの場合はいろんな理由があって、1年目で吉井コーチで優勝させてもらって、僕の中では何もなかったです」
(引用元:Full-Count)
と意見の食い違いはあっても、それは対立では無く、栗山英樹監督ご自身は特に嫌っているとかそういうものでは無かったと述べられました。
また、吉井理人さんも、
「チームの中には色々な意見があって、そのことには何も思っていない。前回はそれによって選手に迷惑をかけて、前回はそういう形になった。監督とどうのこうのは全くありません」
(引用元:Full-Count)
と意見の違いはあったけれども、栗山英樹監督と対立したわけでは無いと述べられています。
2012年の段階では、
と述べられていましたが、2015年では、
と述べられています。
まあ、元々、栗山英樹監督を嫌ったという感じでは無く、単純に戦術的に相いれなかったと考えられますね?
それでも、こうしてお二人が再び一緒のチームで監督とコーチとしてされるというのは、信頼の証では無いでしょうか?
そしてこの時の成功が、三度、侍ジャパンとして一緒に戦うことになり、第5回WBCを見事優勝という形に持っていけたのは、お二人が最初からなれ合わずに積み重ねてきた結果と思われます。