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探偵ナイトスクープ初代局長の上岡龍太郎と3代目のダウンタウン松本人志の関係や引退について

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「探偵!ナイトスクープ」初代局長上岡龍太郎さん(甥っ子はミキ)3代目局長のダウンタウン松本人志さん昔何度か共演してます。上岡さんは医療事故や占い、霊感商法を視聴率の為に軽々しく扱うことを嫌われた知的派芸人でしたが、松ちゃんとの関係や引退を紹介します。

関西人にとっては、上岡龍太郎さんといえば、神格化された天才お笑い芸人で、その系譜を受け継ぎ更に次へ進んだ次世代の天才お笑い芸人がダウンタウンの松本人志さんでした。そして、天性のツッコミで天才の笑いを爆発させたのが浜田雅功さんですよね。

目次

伝説の天才芸人、上岡龍太郎とは?

プロフィール

画像引用元:朝日新聞デジタル

本名:小林龍太郎
別名義:横山パンチ、伊井パンチ
生年月日:1942年3月20日
別年月日:2023年5月19日(81歳没)
出身地:京都府京都市左京区吉田中大路町
身長:165㎝
血液型:AB型
最終学歴:私立京都西高等学校 卒業

上岡龍太郎さんがご自身の事を語られた有名な文言として、

「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才、上岡龍太郎です」

というのがあります。

芸人としては超一流の才能がありながら、独特のスタンスで全員に好かれるわけではない、そして、関西故にギャラが安いことを的確に表した名言ですよね?

「恵まれない天才」にすべてが集約されているのもセンスの良さと言えます。

家族構成

上岡龍太郎さんの奥さまは友岐子さんご長男は小林聖太郎さんで、3人家族です。

甥っ子お笑いコンビ「ミキ」兄・三木昴生さん弟・三木亜生さんです。

主な芸歴

1959年、横山フックさんに誘われる形で、横山パンチの芸名で「漫画トリオ」としてデビューされました。

画像引用元:毎日新聞

「パンパカパーン、パンパンパ、パンパカパン、今週のハイライト」というブリッジで始めるのが特徴で、これはかなり流行りましたね。

横山フックさんが政治家になる為トリオは解散し、以降は上岡龍太郎という芸名で活動されます(父方の名字が上岡)。

そして、1987年4月14日からは、伝説となったトーク番組「鶴瓶・上岡パペポTV」が始まりました。

画像引用元:スポニチアネックス

笑福亭鶴瓶さん上岡龍太郎さんが、

台本無し・打ち合わせ無し

完全フリートークを60分間しゃべるというとんでもない番組でした。

この二人だからこそできた番組でしたね。

そして関西ローカルだったにもかかわらず、あまりの面白さに全国放送へと切り替わります。

結果、上岡龍太郎さんは東京進出を果たすことになりました。

ちなみにこの完全フリートークを実現できたのは、1989年10月4日からはじまった「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」ぐらいでしょうか?

更には1988年3月5日からは、関西人の憩い、「探偵!ナイトスクープ」が始まりました。

画像引用元:産経ニュース

円広志さんの曲で始まり、視聴者からの依頼を探偵が解決する様は爆笑や感動を呼びました。

金曜の夜11時代の放送にもかかわらず、視聴率は30%を超えることもありました。

突然の引退!

上岡龍太郎さんは58歳という若さで、2000年に芸能界を引退されました。

何年も前から、引退することは言われていましたが、

冗談では無いか?
ゴルフやマラソンと同じように考えが変わるのではないか?

とそれほど本気にはされていませんでした。

ちなみに余談ですが、上岡龍太郎さんはゴルフやマラソンは時間の無駄でやる意味がわからんと長年言ってきたのですが、後にどちらにもメッチャハマったという経緯があります。

引退の理由については色々と言われていますが、

ゴルフに専念したい
余生を楽しく過ごしたい
芸のレベルが衰えたら

などがあります。

特に有名なのは、上岡龍太郎さんが自分の芸が衰えたら教えてと妻に言ったところ、「今や!」と言われたのがキッカケの一つと言われていますが、どうなんでしょうか?

二人の天才、上岡龍太郎と松本人志

上方芸能(関西お笑い界)において、上岡龍太郎さんは大人気を博していましたね。

そんな時期に、師匠を持たない尖った若手お笑いコンビが登場しました。

それが、ダウンタウンでしたが、当時若者だった筆者の世代は「なんかスゴイおもろいコンビが出てきた!」と歓喜しましたが、世代が上の方々や他の先輩芸人のウケはあまり良くありませんでした。

それでも早くからその才能を認めていたベテラン芸人や大崎洋さんの手腕で関西での人気は不動のものとなりました。

そうなると、当時世間(関西)が注目していたのは、

上岡さんとダウンタウンが共演したらどうなるねん?

ということでした。

上岡龍太郎さんは歯に衣着せぬ言動で、ダウンタウンをコケ下ろすかもしれない
ダウンタウンは安全ピンが無いマシンガンのような勢いで、上岡さんに噛みつくかもしれない

と不安と緊張感が漂っていたのを覚えています。

特に、一切妥協を許さない天才二人、上岡龍太郎さんと松本人志さんは絶対にやり合うだろうと予測してました(浜田雅功さんは手は早いが妥協もされていた)。

「EXテレビ」で共演

しかし、いざ共演してみると・・・

どちらも一切引かないが、笑いが融合している

という、予想外の素晴らしい光景が待っていました。

当時テレビ界でも物議を醸しだした番組「EXテレビ」(しょっちゅう見てました)のコーナーである、

クイズ全員が司会者

という今でもぶっ飛んでいそうな企画を1990年代前半にしていました。

出演者は、上岡龍太郎さん、島田紳助さん、松本人志さん、浜田雅功さんというとんでもないレベルの4人でした。

その4人が、それぞれ中心を向いたセットに座って、お互い交代で問題を出して、最後には出題者が正解を決めるというものでした。

ほぼアドリブに近いものなので、お笑いの瞬発力が無いとできません。

ちなみに、上岡龍太郎さんがお茶目にも意図的に誘導することで、

他の3人の私生活の暴露や吉本先輩芸人への暴言大喜利大会

となっていくのは、メッチャ面白かったです。

島田紳助さんは既に人気もあり実力も広く知られていましたが、ダウンタウンも人気や漫才の才能だけでなく、多才な才能があることを世に知らしめた番組でもありました。

この時に、

ダウンタウンは紳助さんだけでなく、上岡さんとも一緒に仕事できるくらいレベルが高い

と幅広い世代に認められたことを覚えています。

「ダウンタウンDX」に出演

後年、上岡龍太郎さん1994年「ダウンタウンDX」に出演された際には、バラエティ番組とは思えないとても濃い内容の話をされました。

画像引用元:文春オンライン

それは、現状のお笑いへの指摘や、今後のお笑い界の在り方を話していましたが、それは苦言や愚痴というよりは・・・

君たち、後は任せたよ

ダウンタウンを認めた上で、バトンを渡しているように感じました。

そして、2000年には以前から公言していたように、本当に芸能界を引退されました。

松本人志が受け継いだもの

ダウンタウンのお二人は今でこそ柔らかいオーラが出た方々ですが、若い頃はそりゃもう凄かったですよね。

状況的な特徴としては、

NSC大阪校1期生で先輩がいない
弟子入りしない初めての芸人で師匠がいない

ということから、ガンガン攻めていました。

なので世間一般のイメージは、「礼節を知らない失礼な奴ら」と言われていました。

しかし、画面越しの偉そうな態度とは裏腹に、カメラが回っていないところでは先輩芸人に対してはちゃんと頭を下げて挨拶を欠かさなかったそうです。

そういうこともあったからこそ、上岡龍太郎さんや島田紳助さんのような「礼儀を知らない若手はつぶす」ぐらいの勢いの方々から好かれていたのでしょう。

そんな、上岡龍太郎さんから松本人志さんが受け継がれたものが・・・

「探偵ナイトスクープ」の局長
お笑い界の行く末(後進を導く)
芸能界を引退する(後進に道を譲る)

といったものではないでしょうか?

「探偵ナイトスクープ」の局長

関西人にとっては、「探偵ナイトスクープ」の局長といえば、一国の首相ぐらいの価値があるものでまぶしい存在です。

しかし、東京で不動の人気を持っている松本人志さんにとってギャラの面や移動のことを考えると、決して美味しい仕事ではありませんでした。

それでも、3代目局長を引き継がれたのは、もちろん2代目の西田敏行さんへの尊敬もあったでしょうが、

上岡龍太郎さんが作った番組を残したい!

という熱い思いがあったからではないでしょうか?

と同時に、

自分を生んだ関西にとって一番大事な番組

の局長になることで、上岡龍太郎さんと関西への恩返しをされたかったのかもしれませんね。

お笑い界の行く末(後進を導く)

元々、お笑い界というのは徒弟制度でした。

つまりは師匠が弟子をとって、笑いの技術を伝えていくというものでした。

その慣習に新たな改革をもたらしたのが、「お笑い養成所」でしたね。

ダウンタウンはそんな成功するかどうかわからなかった「お笑い養成所」の第1期生です。

そして、売れない日々を苦労して駆け上がり、大人気芸人になりました。

となると、弟子を取ったり、後輩を育成する義務も義理もありませんよね?

また、「お笑い養成所」が出来たことで今までとはケタ違いのお笑い芸人が誕生することとなり、ダウンタウンといえども当時は常に戦闘態勢でしたよね。

なので、ナインティナインが出てきた時は、松本人志さんは著書「遺書」で名指しで攻撃されていました。

それを見たナインティナインがショックを受けて共演できなくぐらいだったようです。

これは、別に松本人志さんがナイナイを嫌いというわけではなく、そういったピリピリした空気が出ていたのが原因です(後日、仲良くなってますし)。

現在の松本人志さんは以前のような孤高の天才芸人ではなく、「みんなの松ちゃん」と言われるぐらい後輩芸人から慕われています。

そしてそういった後輩芸人をサポートする為に、

ギャラ的にも精神的にも楽ではない、お笑い賞レースの審査員を何個もされたり
バラエティ番組に後輩芸人を多く呼んで、彼らを生かすような発言をしたり

と若い頃を見ていただけに、別人やんというぐらいの変貌です。

その姿を見ていると、

上岡龍太郎さんが託されていたのは正にこれだったのかな

と感じるようになりました。

当時は大阪の一芸能事務所だった吉本興業が、大崎洋さんとダウンタウンの力で日本を代表する大企業になりましたよね?

その権力があるからこそ、上岡龍太郎さんが思い描いていたかもしれない、

より多くの次世代芸人を育成し、お笑い界をあるべき形へ

という夢を松本人志さんが一心に受け継がれて実行されているように思えます。

芸能界を引退する(後進に道を譲る)

松本人志さんが、最近ちょいちょい言われているのが、

「早ければもう2年や。遅くても5年かな」
(引用元:スポーツ報知

と引退の時期をほのめかしています。

2023年は還暦を迎えられるので、62~65歳で芸能界を引退されるというのはファンからしたら非常に寂しいですよね。

ただ、上岡龍太郎さんが58歳で芸能界を引退されたことを考えると、本当にしそうです。

引退の理由に関しては、

「何個か理由があるんですよね。一つは不倫したいんですよね」
(引用元:スポーツ報知

と冗談で言っておられますが、要は静かに暮らしてみたいというのが本音ではないでしょうか?

と同時に考えられるのは、上岡龍太郎さんの意志を継いでかどうかは不明ですが、お笑い界を大きく盛り上げて、後輩芸人もしっかりしてきました。

となると、

「松本人志」という天才がいることで、本当の意味でそれを越える芸人が出てこないことにも不満を感じている

可能性もあります。

上岡龍太郎さんや島田紳助さんという天才芸人が松本人志さんを認めたように、松本人志さんも新たな天才芸人を認め、そしてバトンを渡したいのかもしれませんね。

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