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【顔画像】野茂英雄と嫁・紀久子(元チアリーダー)の結婚の馴れ初めや子供(長男)貴裕を紹介!

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第5回WBC日本代表のメンバーで優勝でメジャーリーグも震撼した侍ジャパン。日本人メジャーリーガーのパイオニアである野茂英雄(のも ひでお)さんや奥さまの紀久子さんとの結婚の馴れ初め、子供二人、ご長男の野茂貴裕さんのご職業をご紹介致します。

関西人は多くが阪神ファンと言われていますが、セ・リーグは大なり小なりそうだったでしょう。パ・リーグに関しては三つ巴状態でした。

キタは阪急ブレーブス
ミナミは南海ホークス
東大阪を中心に近鉄バファローズ

と人気を取りあっていました。

その後、阪急ブレーブスはオリックスブルーウェーブになり、南海ホークスはダイエーに買収され九州へと移転しました。近鉄バファローズはそんな中でも孤軍奮闘していました。

そこへ救世主として現れたのが野茂英雄(のも ひでお)さんでした!そんな英雄(えいゆう)について振り返ってみたいと思います。

目次

野茂英雄のプロフィール

画像引用元:スポニチアネックス

野茂英雄(のも ひでお)さんの簡単なプロフィールをご紹介致します。

生年月日:1968年8月31日
年齢:54歳(2023年4月時点)
出身地:大阪市港区

出身高校:大阪府立成城工業高等学校
社会人チーム:新日本製鐵堺硬式野球部(新日鉄堺)
身長:約188㎝
体重:約99.8㎏

プロ活動期間:1990~2008年
元所属チーム:記事参照
背番号:記事参照
ポジション:投手
投球・打席:右投右打

年棒:記事参照

野茂英雄(のも ひでお)さん小・中学生時代はほぼ無名で、高校進学時は名門野球部(近大附属など)のセレクションを受けるもすべて不合格になりました。

大阪府立成城工業高等学校に進学後は、2年生からエースとして活躍し大阪大会ではベスト16などの成績を残されました。

高校卒業時点で、プロ野球からの誘いがあったものの、1987年新日本製鐵堺(新日鉄堺)へ入社されました。

社会人時代

新日鉄堺時代に、天下の宝刀「フォークボール」を習得し、都市対抗野球大会で大活躍されます。

そして、IBAFワールドカップ(野球国際大会、1938~2011年)日本代表に選ばれました(当時はアマチュア選手しか出場できない)。

1988年のソウルオリンピック

では古田敦也さんとの黄金バッテリーで見事、「銀メダル」を獲得しました。

運命のドラフト会議

野茂英雄さんアマチュア球界ナンバーワン投手となり、運命のドラフト会議を迎えます。

12球団中なんと8球団(NPB史上最多)ドラフト1位指名をしました。

ちなみに指名した8球団は・・・

セ・リーグ:阪神タイガース、ヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズ
パ・リーグ:オリックス・ブレーブス、福岡ダイエーホークス、近鉄バファローズ、ロッテオリオンズ、日本ハムファイターズ

当時、「野茂英雄、投手、新日鉄堺」がテレビで何度も呼ばれていて、野茂英雄さんの名前と同時に「新日鉄堺」も覚えてしまいました。

この熾烈な争いを制したのは、名将・仰木彬(おおぎ あきら)監督でした(抽選クジを引いたのは最後)。

そして、1989年のドラフト1位近鉄バファローズに入団されました。

当時としては破格の・・・

契約金:1億2,000万円(推定)
年棒:1,200万円(推定)

という金額でした。更には、

投球フォームを変更しない

という特別条項も付け加えられました。

これは野茂英雄さんの代名詞でもある、「トルネード投法」を監督やコーチが一切弄らないというものでしたね。

日本プロ野球は5年!

野茂英雄さんは実は日本プロ野球界には5年しかおられませんでした。

しかし、その実績は記憶にも記録にも残る素晴らしいもので、多くのファンが「トルネード投法」を真似しましたね(そして腰を痛めるという・・・)。

1990年:29登板 18勝8敗 防御率 2.91 287奪三振
1991年:31登板 17勝11敗1S 防御率3.05 287奪三振
1992年:30登板 18勝8敗 防御率2.66 228奪三振
1993年:32登板 17勝12敗 防御率3.70 276奪三振
1994年:17登板 8勝7敗 防御率3.63 126奪三振

1990年は特に、

投手四冠(最多勝・最優秀防御率・最高勝率・最多奪三振)
ベストナイン
新人王
沢村賞(受賞第1号)
MVP

といきなり賞を総なめにしました。

どれも凄すぎたのですが、特筆すべきが「奪三振」で、

シーズン2桁奪三振:21試合
5試合連続2桁奪三振
三振奪取率:10.99(パ・リーグ最高記録)

とスゴイ記録更新づくしだったことから、

ドクターK

というニックネームがつきました。

1990年から1992年までは、魔術師・仰木彬監督の基、野茂英雄さんは自由にのびのびとしてこれました。

しかし、1993年から後を継いだ、鈴木啓示監督との確執や、球団との確執が近鉄バファローズのユニフォームを脱ぐ方向へと流れていきました。

メジャー移籍

1995年、野茂英雄さんはMLBの

ロサンゼルス・ドジャース

マイナー契約を結びました。

日本の超一流選手がアメリカでは低待遇でしたが、まあ様子見ということもあったのでしょう。

しかし、5月にはメジャーデビューし、実に30年以上ぶりともなる(1964年の村上雅則さん以来)日本人メジャーリーガーになりました。

トルネード旋風!

実は、MLBは前年1994年のストライキの影響で他のメジャースポーツ(バスケットやアメリカンフットボールなど)の後塵を喫し、

アメリカでベースボールはオワコン状態

でした。

それでも、映画「メジャーリーグ2」が公開されるなど頑張っていましたが、球場へ足を運ぶ人は減りました。

他に楽しいスポーツがあるのに、試合をまともにしてくれなかったメジャーリーグに全米が失望していたのです。

そんなメジャーリーグが危機に瀕している時、1995年に野茂英雄さんがメジャーリーグにやってきたのです。

まるで、1994年のタカ・タナカ(石橋貴明さん演じる)が映画の中から現実の球場に飛び出したかのようでした。

しかも、野茂英雄さんが選んだ背番号は16でした。この背番号にした理由が、

石橋貴明さんが映画で付けていた番号だから

というのは有名な話ですよね。

そして、野茂英雄さんはその独特のフォーム「トルネード投法」から三振を量産していきました。

アメリカ人は熱狂し、メジャーリーグは再び大人気スポーツへと返り咲いたのです。

そういった事情もあり、野茂英雄さんは日本だけでなく、アメリカでもその実績以上に高い評価を受けているのです。

元所属チームや背番号、年棒については記事でご紹介しております。

野茂英雄の妻・紀久子とは?

野茂英雄(のも ひでお)さんの奥さまである、紀久子(きくこ)さんとはどんな方なのでしょうか?

プロフィール

野茂紀久子さんに関しては、

生年月日
年齢
血液型
学歴

など基本的な情報に関しては、一般の方ということもあり公開されていませんでした。

顔画像に関してですが、当時の週刊誌で紹介されていました。

画像引用元:FRIDAY

とてもおキレイな方ですよね(当時のトレンディドラマに出てくる女優さんのようです)。

ただ年齢は、野茂英雄さんより年上ということは公表されていますので、

50代後半(2023年4月時点)

と推測されます。

ただ、次の情報である、

旧姓:森本紀久子(もりもと きくこ)
出身地:関西周辺?

職業:元チアリーダー

に関しては判明しています。

野茂英雄と妻・紀久子の馴れ初めは?

野茂英雄(のも ひでお)さんと奥さまの紀久子(きくこ)さんはどのようにして知り合われたのでしょうか?

野茂英雄さん新日鉄堺には1987年~1989年の3年間所属されていました。

実はこの社会人チーム時代に、奥さまと出会われたそうです。

その場所とは・・・

野球のスタジアム

だったそうです。

紀久子さん

対戦相手チームのチアガール(一説ではパナソニック所属)

で、野茂英雄さん紀久子さんがあまりに美人で一目惚れしたそうです。

当時の写真はありませんでしたので、参考資料として最近のパナソニックチアリーダーの写真をご紹介しておきます。

画像引用元:毎日新聞

球場はどこかは不明ですが、マウンドからハッキリと見える場所か試合のブレイクタイムに出てきたところを見たのかもしれませんね。

その後、野茂英雄さんが紀久子さんに猛列アプローチをしたことで、

1989年頃

からお二人の交際がスタートしました。

野茂英雄と妻・紀久子の結婚

画像引用元:FC2

野茂英雄(のも ひでお)さんと奥さまの紀久子(きくこ)さん交際から約2年後、そしてプロ2年目

1991年

入籍されました。

ちなみに、結婚式・披露宴

1993年

にで行われました。

ちなみに披露宴の場所は、大阪人の誇りである天下の名城・大阪城の側にあるホテルニューオータニ大阪でした。

画像引用元:一休

ちなみに、入籍から結婚式・披露宴まで2年空いてしまった理由は・・・

1991年シーズンオフ:野茂英雄さんが多忙過ぎ(大人気でオフも引っ張りだこ)
1992年シーズンオフ:紀久子さんが妊婦

といった事情だったそうです。

野茂英雄と妻・紀久子の子供

野茂英雄(のも ひでお)さんと奥さまの紀久子(きくこ)さんの間には、お子さんが二人おられます。

長男:野茂貴裕(のも たかひろ)、1992年生まれ、30歳ぐらい(2023年4月時点)
次男:非公表

お二人共、男の子でしたがプロ野球選手にはなりませんでした。

しかし、長男の野茂貴裕さんプロ野球関係のお仕事をされています。

長男・野茂貴裕

画像引用元:スポニチアネックス

長男の野茂貴裕さんをご紹介致します。

野茂英雄さんがメジャーに移籍された時、野茂貴裕さんは3歳でアメリカにおられました。

しかし、小学校から高校

日本のインターナショナルスクール

に通われていたと言われています。

卒業後は、アメリカの私立大学である

メンロー大学

に進学されました。

大学では、野球部のマネージャーをされていたそうです。

大学在学中に、北海道日本ハムファイターズ

球団通訳のインターンシップ

に参加されました。

2014年12月に大学をご卒業後2015年から2019年まで

北海道日本ハムファイターズの通訳

をされていました。

日本語や英語以外にも、スペイン語も堪能だったようです。

水原一平さんのように活躍されたことでしょう。

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