元メジャーリーガーの野茂英雄さんの現役時代の年棒推移と所属球団や成績を振り返ります。当時の為替レートで円換算してます。現在はメジャーリーグ年金を受給し、生涯貰える年収2,000万円があるということですがその制度も紹介致します。
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目次
野茂英雄の年棒推移
野茂英雄さんの所属していた年棒と成績を球団ごとに区切り、年度別に紹介致します。
メジャーリーグの年棒はアメリカドルですので、その年の平均為替レートを使用して当時のリアルな日本円での年棒に換算してあります。
平均為替レートの引用元:「世界経済のネタ帳」
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新日本製鐵堺硬式野球部(1987~1989年)
1987年:142万8,000円(月給:11万9,000円、手取り約9万円)
社会人野球はいわば、企業に勤める正社員ですので給与は通常の従業員とほぼ変わりありません。
2年目以降は多少上がったと思われますが、ほぼ同じだったのではないでしょうか。
近鉄バファローズ(1990~1994年)
1990年:契約金・1億2,000万円(史上初の1億円台)
1990年:1,000万円
1991年:3,600万円
1992年:6,600万円
1993年:1億1,600万円
1994年:1億4,000万円
1990年から毎年年棒は2~3倍以上の上昇を続けました。
しかし、1993年の素晴らしい結果にもかかわらず、1994年の年棒は最初は前年と同じ、交渉後なんとか2,400万円アップという結果でした。
1990年:29登板 18勝8敗 防御率 2.91 287奪三振
1991年:31登板 17勝11敗1S 防御率3.05 287奪三振
1992年:30登板 18勝8敗 防御率2.66 228奪三振
1993年:32登板 17勝12敗 防御率3.70 276奪三振
1994年:17登板 8勝7敗 防御率3.63 126奪三振
1994年は故障の為、後半戦は投げていませんので半年での成績となります。
そして、監督との確執や球団の低評価からメジャーリーグへ挑戦することになりました。
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ロサンゼルス・ドジャース(1995~1998年)
1995年:契約金・200万ドル(約1億8,800万円)(為替レート:1ドル・94.0596円)
契約金は一流プレーヤーとして一応認められている金額ですが、あくまで新人としての評価にとどまっています。
また、年棒もルーキーレベル(最初はマイナー契約)なので非常に安いですね。
1995年:10万ドル(約940万円)(為替レート:1ドル・94.0596円)
1996年:60万ドル(約6,527万円)(為替レート:1ドル・108.7791円)
1997年:90万ドル(約1億890万円)(為替レート:1ドル・120.9909円)
1998年:280万ドル(約3億6,653万円)(為替レート:1ドル・130.9053円)
しかし、メジャーリーグでの戦績は素晴らしいものでした。
1995年:28登板 13勝6敗 防御率 2.54 236奪三振
1996年:33登板 16勝11敗 防御率3.19 234奪三振
1997年:33登板 14勝12敗 防御率4.25 233奪三振
1998年:12登板 2勝7敗 防御率5.05 73奪三振
「NOMOマニア」という言葉が生まれるほど、全米を沸かしましたね!(もちろん日本でも)
日本では3年で6倍にしかならなかった年棒が、メジャーではなんと・・・
3年で18倍!
という評価を受けました。
1997年オフには
右肘の遊離軟骨除去手術
を受け、1998年は1か月早めにトレーニングを開始しました。
球速はある程度まで回復し球威はありましたが、投球フォームを崩し制球力が低下しました。
5月上旬に正捕手で女房役だったマイク・ピアッツァさんがトレードで放出された翌月、6月1日に会見を開き
「環境を変えたい」
と退団の意思を表明しました。
ニューヨーク・メッツ(1998年)
1998年6月4日からニューヨーク・メッツでプレイします。
マイク・ピアッツァさんも同チームに移籍していた為、再びバッテリーを組みました。
1998年:17登板 4勝5敗 防御率4.82 94奪三振
ちなみに近鉄バファローズ時代の同僚・吉井理人さんもニューヨーク・メッツに入団し、再び同僚になりました。
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1999年1月18日、
292万5,000ドル(約3億3,317万円)(為替レート:1ドル・113.9068円)
で再契約するも、同年3月30日に放出されました(戦力外)。
シカゴ・カブス(1999年)
野茂英雄さんは、1999年4月1日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結び、アイオワ・カブス(3A)に所属されました。
しかし、わずか3試合に先発登板しただけで、自由契約となりました。
ミルウォーキー・ブルワーズ(1999年)
1999年:25万ドル(約2,848万円)(為替レート:1ドル・113.9068円)
1999年:28登板12勝8敗 防御率4.54 161奪三振
デトロイト・タイガース(2000年)
2000年:100万ドル(約1億777万円)(為替レート:1ドル・107.7655円)
2000年:32登板8勝12敗 防御率4.74 181奪三振
ボストン・レッドソックス(2001年)
2001年:450万ドル(約5億4,688万円)(為替レート:1ドル・121.5289円)
2001年:33登板13勝10敗 防御率4.50 220奪三振
ロサンゼルス・ドジャース(2002~2004年)
2002年:450万ドル(約5億6,425万円)(為替レート:1ドル・125.3880円)
2003年:775万ドル(約8億9,848万円)(為替レート:1ドル・115.9335円)
2004年:900万ドル(約9億7,373万円)(為替レート:1ドル・108.1926円)
2002年:34登板16勝6敗 防御率3.39 193奪三振
2003年:33登板16勝13敗 防御率3.09 177奪三振
2004年:18登板4勝11敗 防御率8.25 54奪三振
タンパベイ・デビルレイズ(2005年)
2005年:80万ドル(約8,817万円)(為替レート:1ドル・110.2182円)
2005年:19登板5勝8敗 防御率7.24 59奪三振
シカゴ・ホワイトソックス(2006年)
野茂英雄さんは、2006年3月3日、シカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結びました。
シャーロット・ナイツ(3A傘下)に所属するも、右ひじの炎症で故障者リストになりました。
2006年6月8日、契約を解除されました。
6月下旬には、右ひじの手術をし、リハビリ生活となりました。
レオネス・デル・カラカス(2007年)
野茂英雄さんは、2007年も引き続きリハビリ生活をしていましたが、
リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル(ベネズエラのプロ野球ウインターリーグ)
に所属している、
レオネス・デル・カラカス
に入団し、ベネズエラのウインターリーグに参加しました。
2007年10月20日、約1年半ぶりに登板を果たしました。
カンザスシティ・ロイヤルズ(2008年)
2008年:3登板0勝0敗 防御率18.69 3奪三振
2008年4月20日、戦力外通告となりました。
野茂英雄の年収2,000万円の秘密とは?
野茂英雄さんは少なくとも、年収2,000万円と言われていますが、その秘密は何でしょうか?
実は、
メジャーリーグ年金
を貰えるのです。
メジャーリーグ年金
10シーズンをフルでメジャーリーグ登録をしてプレイした選手に満額が支払われることになっています。
但し、マイナー契約期間はカウントされません。
しかし、故障者リスト(DL)に入っている期間はメジャーリーグ登録と看做されてカウントされます。
気になる金額ですが、
年間20万ドル(12カ月分割支給)
です。
この年金開始年齢ですが、
62歳が原則、但し45歳からはいつでもOK
となっています。