「北海道150年で最も功績があった人」の第9位まで選ばれた、偉人・大泉洋とは何者なのか?どうでしょうファンなら今さらですが、最近の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」などで活躍する俳優から知った人には「なぜ彼が偉人なのか?」と不思議に感じる方もいるかもしれません。
改めて、大泉洋を知らない方や知っているけどもう一度確認されたい方の為に、簡単に分かる彼の学歴や経歴をご紹介致します。
大泉洋とは?
今さら多くを語らなくても有名すぎる大泉洋さんですが、改めて振り返ってみたいと思います。
プロフィール
- 生年月日 1973年4月3日
- 年齢 49歳(2022年7月時点)
- 出身地 北海道江別市大麻
- 身長 178㎝
- 血液型 B型
- 所属劇団 TEAM NACS(1996年~)
- 事務所 CREATIVE OFFICE CUE(1995年~)アミューズと業務提携(2004年から)
1973年生まれですので、「第二次ベビーブーム」の頃ですね。
家族
- 父親 大泉恒彦、北海道高等盲学校校長や北海道七飯養護学校校長など歴任
- 母親 中学校教師
- 兄 大泉潤、元函館市役所幹部、2023年函館市長選出馬予定
- 妻 中島久美子、元フジテレビ社員(ドラマ制作センター副部長、広報局)
- 娘
お兄さんである大泉潤さんも有名ですね。
大泉洋の学歴は?
大泉洋さんは小学校から大学に至るまで北海道一筋です。
- 1980年(7歳):江別市立大麻東小学校入学
- 1984年(11歳):札幌市立真駒内南小学校に転校
- 1986年(13歳):札幌市立真駒内中学校入学
- 1989年(16歳):市立札幌藻岩高等学校入学(偏差値55)
- 1994年(20歳):北海学園大学経済学部合格(偏差値40~45)
高校は偏差値55と、平均よりはやや上の学力を持っていたようです。
ただ、この時代は「第二次受験戦争」の真っただ中ですので、現在だと偏差値60前後の価値があるとも言われています。
藤村Dには「スズムシ」と言われていましたが、実際はかなり頭の回転の速い方ですよね。
「北海学園大学経済学部」には2浪の末合格しました。
ただ、1浪の時点で東京の私立大学にも合格していたらしい(一説ではGMARCH)ですが、本命の大学(お兄さんと同じ早稲田大学とも言われている)は合格できなかったので2浪されました。
当時は「第二次受験戦争」で競争率も凄まじかったですし、2浪は1浪よりも、学力ややる気が低下して不利と言われていたので、偏差値も大きく落ちたのではないでしょうか?
結果、本人が望まない大学への進学で、大泉洋のお母様は「もう死ぬんじゃないか」と心配するくらい、ご本人は落ち込んでいたそうです。
ただ、大学は偏差値だけで決まらず、教授の質が高かったり、良い仲間と出会えたり、分からないものです。
この「北海学園大学」には、とんでもない男達が集まっていたのです・・・。
大泉洋、大学生の時に覚醒!
大泉洋さんは、一念発起し、「演劇研究会」に入部します。
そこには、なんと・・・
森崎博之
安田顕
佐藤 重幸(現:戸次重幸)
音尾琢真
という男たちがいて、仲良くなりました。
まさか、これが運命の出会いになるとも知らず・・・。
ただ、大泉洋さんとこの4名は「演劇研究会」でも異端児だった為、この5名で
TEAM-NACS(後の、TEAM NACS)
を1回限りのユニットとして結成します。
大泉洋、大学生でテレビ番組出演!
大泉洋さんは、数奇な巡り合いから大学生にも係わらずテレビ番組に出演するようになりました。
この時代、大学生がテレビ番組に出演するとなると・・・
街角ロケでインタビュー(素人)
大阪ローカル「テレビのツボ」で各局の番組を紹介する大学生
「探偵ナイトスクープ」に依頼する
東野幸治のような例外(大学生でダウンタウンの「4時ですよ~だ」出演
と普通ではありえないことでした(俳優さんや歌手は別として)。
では、なぜ一介の大学生がテレビ出演になったのか?
偶然
結論から言うと、偶然なのですが、これは大泉洋さんが一念発起して「演劇研究会」に入部したことが理由です。
「運命の仲間」に出会うだけでなく、「運命の糸」をも手繰り寄せていたのです。
劇団OOPARTS(主宰・鈴井貴之)の劇団員が大泉洋の「演劇研究会」の舞台を見て気に入った
伊藤亜由美(鈴井貴之の元妻)が北海道テレビ(HTB)深夜番組「モザイクな夜V3」のディレクターに紹介
そして、1995年10月、大泉洋さんが22歳の時(大学2回生)には北海道テレビ(HTB)深夜番組「モザイクな夜V3」の
2代目「元気くん」
としてテレビ初出演を果たします。
この番組出演がきっかけとなり、鈴井貴之さんが代表をしている
所属することになりました。
1996年7月公開の映画「ガメラ2 レギオン襲来」に逃げ惑う地下鉄乗客約で映画初出演も果たします。
そして、1996年10月・・・
あの「伝説の深夜番組」である・・・
水曜どうでしょう
にレギュラー出演することで、彼の運命の輪が急速に加速し始めるのでした・・・。