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【顔画像】入来智の再婚した美人嫁・聡子は高校時代の元彼女!結婚した妻との馴れ初めや離婚の経緯、子供紹介

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日本・韓国・台湾で活躍した元プロ野球選手入来智(いりき さとし)選手(元・東京ヤクルトスワローズ)は90年代を代表する記憶に残る方でした。奥さまの聡子さんは引退後の生活を応援し支えてきた方です。お二人の馴れ初めや子供達についてご紹介致します。

目次

入来智のプロフィール

元プロ野球選手の入来智(いりき さとし)さんの簡単なプロフィールをご紹介致します。

生年月日:1967年6月3日
没年月日:2023年2月10日(55歳没)
出身地:宮城県都城市

出身高校:鹿児島実業高等学校
社会人チーム:三菱自動車水島
身長:178㎝
体重:80㎏

元所属チーム:後述
元背番号:後述
ポジション:投手
投球・打席:右投右打

年棒:後述

入来智(いりき さとし)さん1989年のドラフト6位近鉄バファローズ(後の大阪近鉄バファローズ)に入団されました。

1989年のドラフトは近鉄バファローズにとっては伝説とも言える当たり年でした。

ドラフト1位:野茂英雄選手
ドラフト3位:石井浩郎選手

などのスーパースターが同期です。

歴代所属チームと背番号

入来智(いりき さとし)さんの歴代所属チーム(当時の球団名)と背番号をご紹介致します。

1990~96年:近鉄バファローズ(背番号:41)
1996年:広島東洋カープ(背番号:40)
1997~98年:近鉄バファローズ(背番号:42)
1999~2000年:読売ジャイアンツ(背番号:44)
2001~2002年:ヤクルトスワローズ(背番号:28)
2003年:斗山ベアーズ(韓国)(背番号:29)
2004年:La New ベアーズ(台湾)(背番号:29)

年棒の推移

入来智(いりき さとし)さんの年棒(金額は推定)の推移をご紹介致します。

近鉄バファローズ

1989年:契約金3,200万円(ドラフト6位)
1990年:480万円(7試合0勝0敗 防10.57)
1991年:480万円(10試合4勝0敗 防2.44)
1992年:1,200万円(15試合4勝3敗1セーブ 防6.75)
1993年:1,400万円(26試合5勝5敗 防3.35)
1994年:1,950万円(44試合4勝6敗1セーブ 防4.21)
1995年:2,450万円(23試合0勝3敗 防5.33)

入来智さんはプロ2年目から4勝をあげ、それから毎年4~5勝をあげチームの戦力として活躍されました。

1995年に勝ち星をあげられず、翌年に広島東洋カープへとトレードに出されます。

広島東洋カープ

1996年:2,100万円(6試合0勝3敗 防5.29)

カープ時代は勝ち星を挙げられず、わずか1年で古巣の近鉄バファローズへと戻ることになりました。

近鉄バファローズ

1997年:1,670万円(6試合1勝0敗 防2.70)
1998年:1,720万円(25試合4勝3敗 防5.48)

復帰後、2年目には4勝を挙げ、チームの戦力として活躍されました。

そして、今後は読売ジャイアンツへトレードで移籍することになりました。

読売ジャイアンツ

1999年:2,020万円(22試合2勝1敗 防4.15)
2000年:2,400万円(一軍登板なし)

読売ジャイアンツには弟の入来祐作さんがおられ、

球団史上初の現役兄弟選手

として話題になりました。

しかし、2年目は一軍登板が無く、オフには戦力外通告を受けました・・・。

ヤクルトスワローズ

ヤクルトスワローズは石井一久選手以外、先発投手が不足していました。

テスト入団を受けた入来智さんは正にその穴を埋めるべく、入団され1年目からご自身初の二桁勝利を挙げ優勝に貢献します。

日本シリーズでは古巣・近鉄バファローズと死闘を演じ、第3戦では古田敦也選手とバッテリーを組み勝利投手になられました。

この年の大活躍が認められ、年棒も3,800万円という高額に達しました。

2001年:1,200万円(24試合10勝3敗 防2.85)
2002年:3,800万円(6試合1勝3敗 防6.66)

ちなみに「ケンカ投法」で頑張ってきた入来智さんが、ヤクルトスワローズ時代に大変貌を遂げたのは

運命の人

に出会ったからだとご本人が言われていました。

運命の人とは、前述した球界ナンバーワン捕手の古田敦也選手でした。

それまでの速球に頼るピッチングでは無く、スローカーブを混ぜた緩急ある投球スタイルで相手打者を打ち取りました。

このテクニックを伝授されたのが古田敦也選手だったそうです。

斗山ベアーズ(韓国)

2003年:1,900万円(39試合7勝11敗5セーブ 防2.85)

韓国プロ野球(KBO)では長年、外国人選手の登録を許可していませんでした。

これは、KBOの強化が目的でした(外国人選手に頼ると選手が育たないから)。

そんな中、入来智さんがKBO初の外国人枠登録の日本人選手となり活躍されました。

La New ベアーズ(台湾)

2004年:不明(11試合4勝6敗 防2.85)

4勝を挙げるも、シーズン途中で解雇されました。

そして、2004年にプロ野球選手としての人生にピリオドを打つことになりました。

入来智の嫁は誰?

入来智さんの奥さまについて調査してみたところ、一般の方でしたが色々なメディアでご紹介されていました。

名前:入来聡子(旧姓:松元)
生年月日:1968年頃
年齢:54歳ぐらい(入来智さんの1歳年下)
出身地:宮崎県(入来智と同郷)
卒業高校:鹿児島実業高等学校
職業:元美容院経営、兄の経営する「かかし亭」にも参加

が公開されています。

入来智の嫁・聡子の顔画像は?

入来智さんの奥さまである聡子さんですが、テレビ番組や取材などでお顔を出されています。

スポニチ

おキレイな方で笑顔がとても優しい性格を表しています。

夫の為に出演されているので、正に献身的な愛ですね。

入来智と嫁・聡子の馴れ初めは?

入来智さんと奥さまの聡子さんは、どのようにして知り合われたのでしょうか?

学生時代

実は、お二人は

鹿児島実業高等学校

の先輩と後輩でした。

入来智さんが18歳(高校3年生)で、松元聡子さんが17歳(高校2年生)の時に友達の紹介で知り合われました。

なんと聡子さんが入来智さんに一目惚れし、お二人の交際が始まりました。

しかし、入来智さん高校卒業後社会人チームの三菱自動車倉敷に所属された為、本拠地がある岡山県倉敷市へと引っ越すことになりました。

そうなるとお二人は、鹿児島県と岡山県での「遠距離恋愛」になることに・・・。

今の時代でも難しい遠距離恋愛ですが、携帯電話もインターネットも無い1980年代ですから大変だったことでしょう。

そして、1987年、2年ほどの交際にピリオドを打つことになりました。

運命の再会

入来智さんは前の奥さまと2001年に離婚されました。

2004年に現役を引退された後、

2005年から地元宮崎県でコンビニのアルバイトや酒造メーカーの短期雇用など

で生活をされていたそうです。

2005年6月、入来智さんは何気なく車を運転していた時、偶然にも元彼女の聡子さんの美容室の前を通り、声をかけたそうです。

実に18年ぶりの偶然の再会

でした。

この頃、聡子さん

独身
美容院を経営

していたそうです。

入来智さんを見た聡子さん

目が死んでいて、このまま別れてはいけない

と思い、ご自身の美容室で髪をカットしてあげることにしたそうです。

この「運命の再会」をきっかけに、お二人は色々と話す機会があり、交際がスタートしました。

入来智と嫁・聡子の結婚

入来智さんと奥さまの聡子さんの2度目の交際は順調に進んだようで、

2006年2月

にご結婚されました。

この時、入来智さんは37歳で再婚、聡子さんは36歳で初婚でした。

入来智と嫁・聡子の子供は?

入来智さんと奥さまの聡子さんの間には、3人のお子様がおられます。

長女:星璃(せいら)さん、2006年生まれ、16~17歳(2023年時点)
次女:名前は非公表、2008年生まれ、14~15歳(2023年時点)
長男:名前・生年月日ともに非公表

詳細な情報はプライバシー保護の為、公表されていませんでした。

また、入来智さんには前妻との間に女の子が一人おられました。

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