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松坂大輔と嫁・柴田倫世は現在別居中だが離婚は無い!結婚の馴れ初めや子供三人を紹介

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第5回WBC日本代表のメンバーが劇的勝利を飾ったメキシコとの準決勝で始球式をされた「平成の怪物」松坂大輔(まつざか だいすけ)さんの美人妻は元日本テレビアナウンサー柴田倫世(しばた ともよ)さんです。お二人の馴れ初めや別居の真相・離婚の噂、3人の子供について紹介

高校時代から応援し、レッドソックス時代にはボストンのフェンウェイパークまで足を運んだ思い入れのある選手ですので、今回の始球式は非常に感動を覚えました。

目次

松坂大輔のプロフィール

松坂大輔(まつざか だいすけ)さんの簡単なプロフィールをご紹介致します。

生年月日:1980年9月13日
年齢:42歳(2023年3月時点)
出身地:東京都江東区

出身高校:横浜高等学校
身長:182㎝
体重:92㎏

プロ活動期間:1999~2021年
所属チーム:下記参照
背番号:下記参照
ポジション:投手
投球・打席:右投右打

年棒:

松坂大輔(まつざか だいすけ)さん1998年のドラフト1位埼玉西武ライオンズに入団されました。

柴田倫世のプロフィール

エルザ

柴田倫世(しばた ともよ)さんの簡単なプロフィールをご紹介致します。

本名:松坂倫世(まつざか ともよ)
旧姓:柴田倫世(しばた ともよ)

生年月日:1974年12月23日
年齢:48歳(2023年3月時点)
出身地:福岡県筑紫野市
身長:163㎝

体重:47㎏
血液型:A型

出身高校:筑紫女学園高等学校
出身大学:慶応義塾大学法学部政治学科
職業:元NTVアナウンサー
ジャンル:スポーツ、情報
活動期間:1998年~

柴田倫世(しばた ともよ)さんは、1998年日本テレビに入社後、アナウンサーとしてスポーツ番組をメインに担当されました。

江川卓さんがメインで大人気だった「スポーツうるぐす」などで大活躍をされました。

結婚後は、仕事を一時休業され、2005年頃から控えめに仕事を再開されました。

書籍なども出されたりしていますが、夫のサポートや子育てがメインとなっていきました。

エルザ

松坂大輔と柴田倫世の馴れ初め

松坂大輔(まつざか だいすけ)さん柴田倫世(しばた ともよ)さんはどのようにして知り合われたのでしょうか?

東スポWEB

出会いは取材で

松坂大輔(まつざか だいすけ)さん柴田倫世(しばた ともよ)さん

1999年1月頃

プロデビューを控えた1年目のキャンプ開始前の取材で知り合われました。

「平成の怪物」として高校生の時から騒がれていた松坂大輔さんでしたが、高卒1年目にとって

「スポーツうるぐる」(大投手・江川卓さんの番組)

のサブキャスターを務めるなど、大人気アナウンサーだった柴田倫世さんはとてもまぶしく映ったことでしょう。

その1年後、2000年3月頃からお二人の交際が始まりました

プロ1年目から16勝を挙げ最多投手にもなった松坂大輔さんは気負う事なく交際を申し込むことができたのではないでしょうか?

プロポーズは失敗?

松坂大輔(まつざか だいすけ)さん柴田倫世(しばた ともよ)さんにベタ惚れで、交際から1年ほどが過ぎた

2001年頃にプロポーズ

をされました。

結果は・・・、

「考えたい」

保留となりました。

ふつう「保留」となるとプロポーズ自体は失敗で、その後、「はい」になるのか「いいえ」になるのかは分かりませんよね。

柴田倫世さんは本心は、

「体の中を風が吹き抜けるような感覚。うれしかった」
(引用元:asahi.com

と後に述べながらも、保留にされたのはなぜでしょうか?

この件について、柴田倫世さんは

「主人にもっと強くなってほしいと思いました」
(引用元:東スポWEB

いう願いから、成長を見守る為に先延ばしにされたそうです。

24歳の時に18歳の松坂大輔さんに出会っているので、恋人だけでなく「お姉さん」としての意識もあったのでしょうか?

ご自身の事よりも、松坂大輔さんを思われた判断に頭が下がります。

松坂大輔と柴田倫世の結婚

エルザ

松坂大輔さんの2001年のプロポーズから3年以上が過ぎた

2004年10月28日

お二人はご結婚されました。

日刊スポーツ

松坂大輔さん柴田倫世さんの事を・・・

「この人以外いない」
「料理も上手」

と褒めたたえていました。

柴田倫世さんも内心ほっとしつつ、とても嬉しかったと思います。

松坂大輔と柴田倫世の子供

松坂大輔(まつざか だいすけ)さん柴田倫世(しばた ともよ)さんの間には、三人のお子様がおられます。

長女:日光(ニコ)ちゃん、2005年12月生まれ、17歳(2023年3月時点)
長男:名前非公開、2008年3月生まれ、15歳(2023年3月時点)

次女:名前非公開、2010年3月生まれ、13歳(2023年3月時点)

エルザ

第一子となる日光(ニコ)ちゃんは日本生まれです。

松坂大輔さん2007年からボストン・レッドソックスに移籍されていますので、1歳の時に渡米されたことになりますね。

そういった事情ですので、第二子の長男と第三子の次女はお二人共アメリカ合衆国ボストン生まれです。

松坂大輔と柴田倫世が別居中の理由

松坂大輔(まつざか だいすけ)さん柴田倫世(しばた ともよ)さんが別居生活になったのは、

2013年頃

ニューヨーク・メッツに移籍した頃からと言われています。

2012年末の段階で、3人のお子さんが

長女:1歳から6歳までボストン
長男:ボストン生まれで5歳
次女:ボストン生まれで3歳

という状況でした。

また、ボストンはアカデミックで落ち着いた街(ハーバード大学やMITがある)ですが、ニューヨークは都会で狭く騒がしい街です。

ニューヨークには4カ月ほど住んでいましたが、楽しい街ではありますが子供、特に小さな子供を育てたいと思える環境では無かったですね(地元の人ならともかく日本人にとって)。

対してボストンは刺激が少ない街で大人が遊ぶには物足りない感じでしたが、勉強に集中したい学生にはいい感じのところでした。

柴田倫世さんは、3人の子供達の育児に奮闘されてきて、

子供達を国際舞台で活躍できる人間に育てたい

と考えられているようです。

小さな子供達をニューヨークに連れていくことにためらわれたのではないでしょうか?

結果として、松坂大輔さんだけがニューヨークへと単身赴任され、柴田倫世さんと3人のお子さんはボストンに残ることになりました。

柴田倫世への誹謗中傷は間違い

柴田倫世さん誹謗中傷を受けていて、松坂大輔さんも心を痛めておられます。

一体なぜ、言われなき誹謗中傷を受けることになったのでしょうか?

別居生活への批判

柴田倫世さんが批判されている理由の一つが、別居生活をしていることと言われています。

アスリートの嫁は食事などのサポートをすべきだ

という概念から、別居していることでサポートができていないとの批判が出ました。

確かに、プロ野球選手の奥さんがサポートとした結果、成績が上がったケースが多々ありますよね。

しかし、柴田倫世さんも一緒に住んでいた時はキッチリとしてサポートをされていたので、松坂大輔さんは西武でも大活躍しメジャーへも移籍し、メジャーでも大活躍でしたよね。

毎回の食事では10~20品目の料理を作っていた
メジャー時代も和食を作っていた
松坂大輔さんに子育てを頼まなかった

といったように全面的サポートをされていました。

また別居後も、

好き嫌いがある松坂大輔さんに栄養バランスの大事さを教えていた
毎日オンラインで会話し家族の絆を保っている

と単身赴任の夫を支える妻の役割をキチンと果たされています。

ボストン生活への批判

柴田倫世さんが批判されている他の理由は、ボストンでのライフスタイルだと言われています。

ボストンでの住居は、

家賃400万円/月、12部屋

という豪邸マンションです。

また教育熱心なので、3人のお子さん達はセレブが通う学校に通っていて、

学費1,000万円/年(3人合計)

との情報もあります。

加えて、習い事として

クラシックバレエ
フィギュアスケート
ジムナスティック

などにも通わせているそうです。

こういったことから、贅沢な生活をしているとの批判が巻き起こったようです。

ボストンはニューヨークに比べて治安が良いとはいえ、やはりセキュリティのしっかりした住居に住むべきですよね。

また、日本でも有名私立なら金額は高くなりますし、そういった場合に批判されることはありませんので、これもいわれなき誹謗中傷と言えるのではないでしょうか?

日本球界復帰後の低迷

実際問題、別居生活をしようが、生活費が高かろうが、松坂大輔さんが日本球界復帰後に活躍していれば批判の声は出なかったことでしょう。

2015年、松坂大輔さんは日本球界に復帰されました。

激しい争奪戦の末、福岡ソフトバンクホークス

3年12億円

で獲得に成功しました。

しかし、松坂大輔さんは期待に応える活躍どころか、3年間で登板1回(2016年のみ)という結果になりました。

更には、

太り過ぎの体型は食生活が悪い

ことから、妻である柴田倫世さんが一緒に日本に帰国しなかったせいだとの批判がでました。

世間の声としては、全盛期の松坂大輔さんを知っているあまりに、復帰後の低迷ぶりにガッカリし、その矛先が柴田倫世さんに向いてしまったのではないでしょうか?

松坂大輔さんが復帰後、期待していた活躍が出来なかったのは主にケガと勤続疲労とも言える体の衰えが原因で、どうしようも無かったともいえます。

中日ドラゴンズに移籍後は、西武時代の師匠である森繫和さんが監督をされていたこともあり、

2018年:6勝4敗、カムバック賞

を獲得されました。

ただ、これも限界を超えた結果であり、2019年は勝てず、2020年には古巣・埼玉西武ライオンズに移籍されました。

松坂大輔、引退時期を逃していた?

松坂大輔さんが日本球界復帰後、言われていたのが、

お金の為に引退をズルズル引き延ばしているのでは?

との批判でした。

それが結果、妻の柴田倫世さんへの批判へとスライドされたのですが・・・。

ただ、これに対しては懐疑的な意見も多いようです。

松坂大輔さんは純粋に

投げれる内はたとえ状態が悪くても投げたい

という、野球大好き少年のハートを持ったまま大人になったような方です。

なので、ケガでまともに投げれなくても、投げる為にリハビリをガマン強くされていたのでしょう。

引退時期を逃していたわけでなく、大好きなことを続けたかっただけというのが本当のところではないでしょうか。

しかし、そんな松坂大輔さんが引退を決意した出来事がありました。

投げることが怖くなった出来事

松坂大輔さんは様々なケガと戦ってこられましたが、

右腕のしびれ

が強くなったことが引退への最初の要因でした。

それでも、ガマン強く努力され、キャンプでも練習に励んでおられました。

しかし、以下のような出来事が起こりました。

ブルペンの投球練習の中で、何の前触れもなく右バッターの頭の方にボールが抜けたんですね。それもちょっと抜けたとかそういうレベルではなくて、とんでもない抜け方をして。そういう時ピッチャーって、抜けそうだなと思ったら、ちょっと指先の感覚で引っ掛けたりするんですけど、それができないぐらいの感覚のなさっていうんですかね。そのたった1球で、僕自身がちょっとボールを投げることが怖くなってしまったそんな経験は一度も無かったので、自分の中でのショックがすごく大きくて。
(引用元:NHK

これは松坂大輔さんほどの超一流だからこそ体感された恐怖だったのでしょう。

ほんのちょっとした繊細な調整ができなくなる・・・、そしてボールが頭の方へ行ってしまう・・・。

ボールを投げることが大好きな松坂大輔さんにとって、ボールを投げることが怖くなるというのは非常に大きな出来事だったのです。

これが、引退を決断された出来事となりました。

松坂大輔と柴田倫世の離婚は無い!

松坂大輔(まつざか だいすけ)さん柴田倫世(しばた ともよ)さん長期間別居しているから、

二人は離婚間近では?

といったゴシップも出たようです。

しかし、松坂大輔さんは引退の際に感謝を伝えたい相手として、

妻、子供達、両親、ファン(アンチも含め)

何より最初に妻の柴田倫世さんを挙げられていました。

また、

家族と過ごす時間を増やしたい
違う角度で野球を見ていきたい
他のことにもチャレンジしたい
野球界、スポーツ界に恩返ししたい

と述べられていました。

実際、2022年からは

テレビ朝日野球解説者
スポーツニッポン野球評論家
「報道ステーション」スポーツコーナーのキャスター

と有言実行の形で行動されています。

また、盛り上がりをみせた第5回WBCでも、

準決勝(日本対メキシコ)の始球式

も務められ、更に盛り上げる形で恩返しをされていました。

WBCの第1回、第2回でそれぞれ3勝を挙げ、日本の連続優勝に貢献された松坂大輔さんが始球式をされたことが、どれほど多くの人に感動と勇気を与えたことか・・・。

古田敦也さんとの解説も素晴らしかったですし!

唯一、述べられていて我々が見えていないのが、「家族と過ごす時間を増やしたい」ですが、離婚を考えている人はこんなこと言いませんよね?

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