BBCによりますと、イギリス首相のボリス・ジョンソンが保守党の党首を辞任すると7月7日に発表しました。ただし、首相の任は秋ごろまで続けるとの意向を示しています。たこ焼き好きで面白いと言われる彼の経歴・学歴や家族を紹介致します。
保守党党首を辞任する理由は?
2022年7月7日、ボリス・ジョンソン首相がイギリス保守党の党首を辞任する意向を固めました。
ただし、
では、なぜボリス・ジョンソン首相は辞任することになったのでしょうか?
ロックダウン規制違反
ボリス・ジョンソン首相は、新型コロナウィルスが蔓延した時の対策として、「ロックダウン」(都市閉鎖)を実行しました。
首相自ら「Stay Home」(自宅にいなさい)と宣言したにもかかわらず、
首相官邸で開催されたパーティーに参加
というスキャンダルな行動を取っていました。
このことに関して、保守党やその他の政党から批判されていました。
そして遂には、今年7月になってから、重要な官僚が
信頼できなくなったから相次いで辞任
という事態になり、退陣を迫る圧力が高まっていました。
不適切な人事
7月5日、スナーク財務大臣やジャヴィド保険大臣など重要な官僚も辞任を表明しました。
辞任理由は、
「痴漢行為をしたと報じられた議員を、ジョンソン氏が与党・保守党の要職に任命していたことを問題視していた」
BBC
とボリス・ジョンソン首相への信頼が無くなったことだそうです。
更には、保守党の重鎮、マイケル・ゴーヴ氏も辞任を求めるなど、党内でも退陣への圧力は増していきました。
保守党内の信任投票の結果
今年の6月には、保守党内でボリス・ジョンソン首相に対しての信任投票が実施されました。
結果は、
ということで、辛うじて続投となりました。しかし、
という決して楽観できるレベルではありませんでしたので、今回の相次ぐ辞任がとどめを刺す結果になったようです。
ボリス・ジョンソンとは?
何かと話題のボリス・ジョンソン首相ですが、プロフィールや経歴・学歴、家族はどうなっているのでしょうか?
プロフィール
- フルネーム アレグザンダー・ボリス・ド・フェファル・ジョンソン(Alexander Boris de Pfeffel Johnson)
- 生年月日 1964年6月19日
- 出生地 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンアッパーイーストサイド
- 身長 175㎝
- 体重 111㎏
- 国籍 イギリス(アメリカ国籍は現在無し)
- 現職 イギリス第77代首相(2019年7月24日~)
スタンレー・ジョンソン(欧州議会議員)がコロンビア大学の学生時代に、シャーロット・フォーセット(画家)との間に生まれたのが、ボリス・ジョンソン首相です。
その後、家族でイギリスに戻りました。
ちなみに家系ですが、
父方:ドイツ系イギリス国王ジョージ2世(庶子の血族の為、王位継承権無し)
祖父:オスマン・トルコ帝国の内務大臣アリ・ケマルの子孫
母方:ユダヤ系ロシア人
このように、ボリス・ジョンソン首相のルーツは「キリスト教・イスラム教・ユダヤ教」があり、
と自分のことを呼んでいます。
学歴
ボリス・ジョンソン首相は輝かしい学歴をお持ちです。
- ヨーロピアンスクール(ベルギーのブリュッセル)
- Ashhdown House Prep School (イギリスのエセックス)
- King’s College of Our Lady of Eton beside Windsor(通称:名門私立イートン校)
- Balliol College(University of Oxford)オックスフォード大学を構成するカレッジの一つ
この話は真実で、筆者の知り合いがイギリス保守党の主要サポートメンバーで「ボリスとは昔から知り合いで、言っていたよ」とおっしゃていました。
家族
ボリス・ジョンソン首相は私生活も色々とあって有名です。
- 1987年(22歳) アレグラ・モスティン=オーウェンと結婚
- 1993年(28歳) 離婚(原因はマリーナ・ホイーラーとの不倫)
- 1993年(28歳) Barrister(法廷弁護士)のマリーナ・ホイーラー(幼馴染)と再婚、子供は4人
- 2009年(44歳) ヘレン・マッキンタイアと不倫し、女の子を授かる(2021年9月に公認)
- 2020年(55歳) 離婚(原因はキャリー・サイモンとの不倫)
- 2020年(55歳) キャリー・サイモン(有名な新聞「インディペンデント」創業者の娘)と結婚、子供は2人
ちなみに記憶に新しいところですが、ボリス・ジョンソン首相はキャリー・サイモンと口論になり、警察に通報されたことが記事になっていましたね。
ボリス・ジョンソン首相は公表されているだけでも4回ほど不倫をしていたそうです。
経歴
ボリス・ジョンソン首相は大学卒業後はコンサル会社、そしてジャーナリストとして働いていました。
- 「L.E.K.コンサルティング」に就職、1週間で退職(理由は退屈だから)
- 「タイムズ」に家族のコネで入社、歴史考古学関係の記事で学者発言をでっち上げ、すぐに解雇
- 「デイリー・テレグラフ」の記者になり、1989~1994年までEC特派員(ブリュッセル駐在)
ブリュッセル駐在員時代は、反EC色の強い記事を書きまくり、ECの信用を傷つけたそうです(虚偽や誇張を混ぜつつ)。
ロンドンに帰ってきた後は、政治コラムニストになり、過激な記事を書き、物議を醸しだしました。「スペクテイター」という雑誌の政治コラムニストになり、1999年7月には同誌の編集者にまで登りつめます。
2001年6月から「庶民院議員」を2期務め、2005年12月には「影の内閣」の高等教育大臣に任命されました。
しかし、「スペクテイター」の記者との恋愛関係の中、2度妊娠(1度は流産、1度は中絶)させていたことが2004年に暴露され、党の役職から追われました。
2008年5月、ボリス・ジョンソン氏はロンドン市長に就任し、2016年5月9日まで務めることになります。
議員としては、EU離脱を扇動し、
とEUを批判するような言動が注目を浴びていました。
そして、「Brexit(ブレグジット)」推進派として行動が過熱化していきます。
2016年、デービット・キャメロン首相の後任として期待されたが、保守党党首選挙には出ず、テリーザ・メイが首相になると、外務・英連邦大臣に就任しました。
2019年、テリーザ・メイ首相が辞任表明をした際には、保守党党首選挙に出馬し、ジェレミー・ハント外相との決選投票では、
という大差で勝利し、
2019年7月に、第77代イギリス首相になりました。