新井貴浩新監督と言えば「涙のFA宣言」が思い出しますよね。当時は物議を醸しだしましたが原因はなんだったのでしょうか?そして再びカープへと帰ってきた経緯とは?迷いながらも救世主になったストーリーを振り返ってみたいと思います。
2007年、新井貴浩は素晴らしい成績でFA宣言!
カープの顔に!
新井貴浩さんと言えば、広島生まれの広島育ちで、高校も地元県立広島工業高校です。
実家は、「広島市民球場」(元:広島東洋カープの本拠地)の近くで、「鯉戦士」になるべく生まれてきたといっても過言ではありません。
駒澤大学卒業後は、1998年のドラフト6位で広島東洋カープに入団しました。
2005年には、43本塁打を放ち、「ホームラン王」のタイトルも獲得し、打点も100以上叩き出す、
になりました。
吹き荒れるFA旋風!
新井貴浩さんとしては、広島県人として、カープファンとして、鯉戦士として、チームを離れたいという気持ちはありませんでした。
ただ、時代は「FA宣言」をするのが主流になっていました。
チームの先輩であり、憧れであり、親しかったカープの元4番である金本知憲さんが2002年に「FA宣言」をして阪神タイガースに移籍していきました。
2002年当時は、阪神タイガースは完全に「ダメ虎」状態で、あの野村克也監督ですら完全な改革は無理でした(途中でやめざるを得ない事件も起きたが)。
そこで、次に期待されたのが、闘将・星野仙一さんでした。
彼は、阪神のチーム改革に必要不可欠なものが「ストイックに打ち込む姿勢と闘う気持ち」であるとし、猛練習で有名な広島東洋カープの4番・金本知憲さんに目を付けました。
金本知憲さんもカープ愛が強い方でしたが、星野さんの執念に満ちたラブコールに阪神への移籍を決意します。
結果、金本知憲さんの練習への姿勢などがチーム全体の雰囲気を変え、2003年のリーグ優勝へと結びつきました。
そんな、アニキ・金本知憲さんの背中を見ていた新井貴浩さんにとって、同じ阪神タイガースから必要とされているとなると、気持ちは揺らぐものでしょう。
また、当時の広島東洋カープは優勝から何年も遠ざかっており、阪神タイガースのような優勝争いができるチームでプレイした、しかも金本知憲さんと、という気持ちが強くなっていきました。
新井貴浩さんの心の中では、
育ててくれたカープで骨を埋めたい
という気持ちと、
優勝争いを味わいたい
金本知憲さんとまた一緒にプレイしたい
という気持ちで非常に葛藤したそうです。
そして出した決断は・・・
FA宣言し、阪神タイガースへの移籍
でした。
妻や息子さんは新井貴浩さんの背中を押しました。
新井貴浩「涙のFA宣言」がカープファンを怒らす!
阪神ファンは「おお!新井さんも来てくれるのか!カープ・・・、またすみません」という気持ちで喜んでいました。
一方、カープファンは「ああ・・・、また4番が出ていく・・・、まあ、でもFAは一流選手の権利やしな・・・、金本さんを追いかけたい気持ちもわかるし」と複雑な気持ちでした。
カープファンは選手に対して抱いている感情は・・・
家族愛
に近いものがあり、本人が決めて移籍することに対しては「温かく送り出す」のが普通です(黒田さんのケースとか)。
なので、このFA宣言も5年前の金本知憲さんや2007年(同年)の黒田博樹さんのように、
ぐらいの感情でした。しかし・・・
漢の涙は・・・
新井貴浩さんは心の優しい方でもあり、感傷的にもなっていたのでしょう。
FA宣言の会見の冒頭で・・・
大粒の涙をこぼし、約20秒間沈黙(引用元:日刊スポーツ)
という状態でした。そして次に言った言葉が物議を醸しだしたのです。
「つらいです…。僕はカープが大好きなので」(引用元:日刊スポーツ)
カープファンとしては、男らしく・・・笑顔で
「カープには感謝しかないです!阪神でも頑張ってきます!」
ぐらいの豪快な感じでいて欲しかったと思います。
当時、多くのカープファンが怒声で言っていたのが(実際に聞いた)、
泣くぐらいなら移籍すんな!
でした。
これは、カープファンとしては新井貴浩さんが抜けることで大幅な戦力ダウンとなるので、「泣きたいのはこっちや」という気持ちもあったのでしょう。
ただ、このエピソードは、新井貴浩さんは心優しい人なんだという印象を受けましたね。
新井貴浩、阪神退団・・・松田オーナーの漢気!
新井貴浩さんは阪神タイガースに移籍し、縦じまのユニホームを着ることになりました。
2008年のシーズン、移籍後初の古巣・広島東洋カープと試合は広島市民球場で行われました。
打順は3番で、ポジションは1塁手とスタメンでの出場に対して、カープファンがとった行動は・・・
新井貴浩さんの広島時代のレプリカユニフォームをグラウンドに投げ込む
激しいブーイング
という最大級の怒りで迎えられました。
・・・もう二度とカープには戻れない・・・、そんな心境だったことでしょう。
移籍後数年間は主力選手としてスタメンを連ねていた、新井貴浩さんですが、慢性的なケガなどで2013年ごろからは下降線をたどり、2014年には運命の岐路に立たされます。
前年の年棒2億円から大幅減額の推定7,000万円を提示され、また来期は代打中心での戦力とみなされました。
新井貴浩さんは、スタメンにこだわりがあった為、「自由契約」を申し入れ受諾されました。
2014年の成績やケガ、年齢的なことを考えるとそれほど手を欲する球団はありませんでした。
しかし、松田オーナーが間髪入れずに手を挙げたのです!
「もう一度、広島で野球がやりたい気持ちがあるのであれば歓迎する」(引用元:スポニチ)
という、一度は裏切った新井貴浩さんに温かい声を投げかけます。しかし、それだけではなく・・・
「戦力として考えている」(引用元:スポニチ)
という、新井貴浩さんが一番言われたかったことをズバット言いました。
情けだけではない、選手の気持ちを汲んだ発言でした。
広島東洋カープが提示した年棒は
2,000万円
という前年の10分の1、阪神の7,000万円を遥かに下回るものでした。しかし、新井貴浩さんは
その場で即決
しました(通常は一度持ち帰ってから考える)。
帰ってきた新井貴浩に対してカープファンがとった行動は?
「涙のFA宣言」でカープファンを憤慨させた、新井貴浩さん。
阪神移籍後は、カープファンに罵声を浴びました。
当然、カープに復帰しても、こういった経緯があったため、
「罵声を受けるかもしれない」
と新井貴浩さんは覚悟を決めていました。
そして、迎えた2015年の試合、場所は本拠地マツダスタジアムです。打席に立った新井貴浩さんに対してカープファンが取った行動は・・・
でした。カープファンは新井貴浩さんを受け入れたのです。
一つは、カープファンの優しさもあったでしょう。
FAで去った選手が帰ってくることもあまりありませんし。
また、阪神の7,000万円を蹴って、2,000万で即決した「漢気」もカープファンの心を掴んだのです。
その後の新井貴浩さんの活躍はまたの機会に・・・。