イギリスに住まれている方には馴染深い(納得はしていない)課税年度開始が4月6日ですが、原因はマリア受胎告知とローマ教皇の決定を無視したイギリス国教会、そしてその後のイギリス財務省の対応にあるようです。
4月6日は課税年度の新年!
イギリスでは所得税の計算を開始する月日が「4月6日」で、まあ新年と言っています(会計事務所では特に)。
ただ、よく言われているのが、
なんで、4月1日じゃないねん?
とキリの悪さに気持ち悪さを感じているのが本音です。
3月25日が課税年度の新年だった!
7,8年前に、イギリス生まれの会計士仲間に、
とボヤいた時、
と言われましたが、
それでも中途半端な開始日だよね?
という返しには、ノーコメントでした・・・。
たぶん、多くの方が同じ気持ち悪さ・・・、疑問をお持ちだと思いますので調べてみました。
3月25日が課税年度の新年だった理由は?
イギリスとアイルランドでは、
が、
の四半期日とされていて、これらの四半期日の最初の日が、
![](https://wcrr2019.org/wp-content/uploads/2022/07/UFFIZI-davinci_annunciazione_u00-1024x519.jpg)
いわゆる「マリア受胎告知」であり、この日が
だった為に、イギリスの課税年度の最初に日となりました。
では、どのようにしてこの「3月25日」が現在の「4月6日」になってしまったのでしょうか?
時は戦国時代(日本では)
イギリスの戦国時代では無いですが、日本だと正に戦国時代、ヨーロッパだと中世ですね。
西暦0年~1582年
1582年、「ローマ教皇グレゴリウス13世」が
![](https://wcrr2019.org/wp-content/uploads/2022/07/P12_Gregory_XIII.jpg)
から
への変更を命じました。
![](https://wcrr2019.org/wp-content/uploads/2022/07/ユリウス暦とグレゴリオ暦の違いとは.jpg)
ユリウス暦は非常に良くできたシステムで、1600年間ほどは上手く機能してきました。
しかし、年間で約11分半ほどの差が生じ、
生じることになりました。
西暦1582年
前述のような事態を解決する為、ヨーロッパ大陸の方では、
という方法で問題は解決されました。
しかし、英国国教会はキリスト教とはいえ、カトリック教会とは「意見の相違」(離婚問題など)があった為、
ローマ教皇グレゴリウス13世の命令を無視
ユリウス暦を使い続ける
という事態になりました。
西暦1752年
イギリスはあれから170年間、ユリウス暦を使っていた為、この年で11日のズレがありました。
イギリス人は1752年になって初めて慌てました。
しかも気づいたのが1752年の9月だった為、
9月2日の次の日は9月14日
という乱暴な調整をしました。
当然、イギリス国民は突然11日間も奪われた為、街頭で抗議運動に出ました。
一番彼らの怒りの理由になったのが、
年間354日しかないのに、通年365日分の税金を支払うこと
となっていたことです。
イギリスの財務省は事態の収拾を図る為、課税年度は365日のままにすることを決定しました。
次の課税年度の初めを
結果として、イギリス国民の怒りは静まりました。
西暦1800年
1800年、イギリス財務省は
世紀末はユリウス暦では閏年だったが、グレゴリオ暦では閏年では無い
と考えると、
と宣言し、1800年、税務年度開始日が1日後ろにズラされ、
4月6日
となりました。
西暦1900年
前述した慣行は廃止され、現在もイギリスの課税年度開始日は4月6日のままです。