「24時間テレビ 愛は地球を救う」(日本テレビ)の定番企画、チャリティーマラソンが始まったのは1992年の第15回からです。歴代のマラソンランナーを振り返りつつ、始まった理由や時間内にゴールできなかった人・途中棄権者も紹介します。
歴代チャリティーマラソンランナー
「チャリティーマラソン」は1992年の第15回「24時間テレビ 愛は地球を救う」(日本テレビ)から始まりました。
最初のチャリティーマラソンランナーは、お笑い芸人として有名な、間寛平さんでしたね。
- 第15回 1992年(平成4年) 8月29~30日 間寛平(43) 200㎞
- 第16回 1993年(平成5年) 8月21~22日 間寛平(44) 200㎞
- 第17回 1994年(平成6年) 8月20~21日 ダチョウ俱楽部:肥後克広(31)、寺門ジモン(31)、上島竜兵(33) 100㎞
- 第18回 1995年(平成7年) 8月26~27日 間寛平(46) 600㎞
- 第19回 1996年(平成8年) 8月24~25日 赤井英和(37) 100㎞
- 第20回 1997年(平成9年) 8月23~24日 TOKIO・山口達也(25) 100㎞
- 第21回 1998年(平成10年) 8月22~23日 V6・森田剛(19) 100㎞
- 第22回 1999年(平成11年) 8月21~22日 にしきのあきら(50) 110㎞
- 第23回 2000年(平成12年) 8月19~20日 トミーズ雅(40) 150㎞
- 第24回 2001年(平成13年) 8月18~19日 研ナオコ(48) 85㎞
- 第25回 2002年(平成14年) 8月17~18日 西村知美(32) 100㎞
- 第26回 2003年(平成15年) 8月23~24日 山田花子(28) 110㎞
- 第27回 2004年(平成16年) 8月21~22日 杉田かおる(39) 100㎞
- 第28回 2005年(平成17年) 8月27~28日 丸山和也(59) 100㎞
- 第29回 2006年(平成18年) 8月26~27日 アンガールズ:田中卓志(29)、山根良顕(29) 100㎞
- 第30回 2007年(平成19年) 8月18~19日 萩本欽一(66) 70㎞
- 第31回 2008年(平成20年) 8月30~31日 エド・はるみ(44) 113㎞
- 第32回 2009年(平成21年) 8月29~30日 イモトアヤコ(23) 126.5㎞
- 第33回 2010年(平成22年) 8月28~29日 はるな愛(38) 85㎞
- 第34回 2011年(平成23年) 8月20~21日 徳光和夫(70) 63.2㎞
- 第35回 2012年(平成24年) 8月25~26日 佐々木健介(45) ⇒ 健之介(13)⇒ 誠之介(9) ⇒ 北斗晶(44) 120㎞リレー
- 第36回 2013年(平成25年) 8月24~25日 森三中:大島美幸(33) 88㎞
- 第37回 2014年(平成26年) 8月30~31日 TOKIO・城島茂 (43) 101㎞
- 第38回 2015年(平成27年) 8月22~23日 DAIGO (37) 100㎞
- 第39回 2016年(平成28年) 8月27~28日 林家たい平(51) 100.5㎞
- 第40回 2017年(平成29年) 8月26~27日 ブルゾンちえみ(27) 90㎞
- 第41回 2018年(平成30年) 8月25~26日 ANZEN漫才・みやぞん(33) 水泳1.55km・自転車60km・走100km
- 第42回 2019年(令和元年) 8月24~25日
- ハリセンボン:近藤春菜(36) 32.195km
- ガンバレルーヤ:よしこ(28) 32.195km
- 水卜麻美(32) 42.195km
- いとうあさこ(49) 42.195km
- 第43回 2020年(令和2年) 8月22~23日 【5km 10万円募金リレー】トータル236㎞
- 高橋尚子(48) & 土屋太鳳(25)
- ⇒ 吉田沙保里(37)
- ⇒ 陣内貴美子(56)
- ⇒ 松本薫(32)
- ⇒ 野口みずき(42)
- 第44回 2021年(令和3年) 8月21~22日 【復興への想いを繋ぐ募金リレー】トータル100㎞
- 岸優太(25)
- ⇒ 水谷隼(32)
- ⇒ 荒川静香(39)
- ⇒ 川井梨紗子(27)・川井友香子(23)
- ⇒ 五郎丸歩(35)
- ⇒ 田中理恵(34)
- ⇒ 長谷川穂積(40)
- ⇒ 丸山桂里奈(38)
- ⇒ 林咲希(26)
- ⇒ 城島茂(50)
- 第45回 2022年(令和4年) 8月27~28日 EXIT:兼近大樹(31) ?㎞
令和になってからの3年間は、リレー形式が続いていました。
過酷なマラソンですので、負担が少ない方が良いとの判断だったのでしょうか?
ただ、今年は再び一人のランナーで走るようです。
チャリティーマラソンはなぜ始まった?
よく言われているのが、
「なぜ24時間テレビで24時間走るの?」
という声を聞きますよね。
これは、実はある裏話があったのです。
24時間テレビ打ち切り?視聴率低下で
第1回が15.6%とそれなりの高視聴率(当時は全体的に高かったので)でスタートしました。
しかし、第2回目以降は10%前後で、10回を数えることには
という事態に陥りました。
24時間(実際は26時間ぐらい)という長丁場の為、高視聴率は難しいもののさすがに「ひとケタ」では番組の存続を見直す話もでてきました。
当時、24時間テレビを担当していたプロデューサーである小杉善信さん(現:日本テレビ代表取締役社長)は何かテコ入れをする必要に迫られました。
そこで、吉本所属の芸人である間寛平さんのマネージャーである比企啓之さんに
「寛平ちゃんには悪いけど、深夜に10分だけ出てもらえないだろうか?」
と依頼しました。
すると、比企さんは「間寛平と全国区の知名度にしたい」と考えていたこともあり、
「10分と言わず、24時間テレビやから24時間走らせましょか?」
と提案をします。
プロデューサーの小杉さんもさすがに驚き、
「えっ! そんなことができるの?」
と思わず聞き返したそうです。
すると比企マネージャーは、
「寛平ならできます」
と受けて、話は進みました。
ここに、24時間テレビの名物企画「24時間チャリティーマラソン」が誕生したのです。
24時間テレビの放送時間内にゴールできなかった人や途中棄権者
24時間テレビの名物企画「24時間チャリティーマラソン」と言えば、チャリティーマラソンランナーが24時間テレビの放送時間内にゴールするのが感動を呼び好評です。
しかし、放送時間内にゴールできなかった人や、途中棄権せざるを得ない人もいました。
チャリティーマラソン途中棄権者
初代チャリティーマラソンランナーの間寛平さんが、実は最初にして唯一の「途中棄権者」でした。
というのも、実験的企画でもあり、最初ということもあって
事前に出発地やルートを公開
していた為、
大勢の人が殺到し、交通の妨げになった
事態を鑑みて、
153㎞地点でリタイアという形で中止しました。
この教訓を経て、これ以降は原則「出発地やルートは非公開」となりました。
前年はひとケタ視聴率だった24時間テレビ、東京ではまだそれほど人気もなかった間寛平さん、ということから番組を盛り上げる為に、事前公開したと思われます。
結果は、予想を超える反響となり、途中で中止にはなりましたが、これが話題となり24時間テレビは復活・発展を遂げていくことになるのです。
チャリティーマラソン放送時間内ゴールできなかった人
チャリティーマラソンを放送時間内にゴールできなかった人は5名おられます。
- 1996年 赤井英和
- 2003年 山田花子
- 2007年 萩本欽一
- 2009年 イモトアヤコ
- 2013年 森三中:大島美幸
赤井英和さんの場合は、マラソンのスタート自体が大幅に遅れた為、ゴールも遅れることになりました。急遽、30分の放送延長をすることでゴールを放送することができました。
山田花子さん、萩本欽一さん、森三中:大島美幸さんは、放送時間内にゴールができませんでした。しかし、ゴールの瞬間は番組終了後に生放送されました。
イモトアヤコさんの場合は、ちょうど選挙の生放送と重なった為、ゴールの瞬間が放送できませんでした。ただ、後で録画で放送されました。
5㎞や10㎞マラソンでもかなりキツイですが、この番組の距離はケタが違います(元々、間寛平さんがスパルタスロン挑戦者だった為、距離が長い)。
それでも何とかゴールされるのは、改めて考えてみますと「ものスゴイこと」だなと感じました。