「水曜どうでしょう」サイコロの旅1と言えば、番組最初の企画です。大泉洋のどうでしょう人生が始まった最初の第1歩ですね。まだ見たことが無い人に面白さを伝えつつ、興味を持たれた方が見たくなるようになればと思います。
ちなみにこの番組の影響力と番組での大泉洋の活躍が、大泉洋を「北海道150年で最も功績があった人」で第9位に選ばれるキッカケになったといっても過言ではありません。
水曜どうでしょう「サイコロの旅1」の企画経緯
「水曜どうでしょう」の番組開始記念で、
アン・ルイスさんへのインタビュー(あるレコード会社からの依頼で、東京への旅費も出してくれた)
という企画をする為に、北海道から東京へやってきた「どうでしょう班」。
「せっかく東京まで行くんなら、何かついでに企画をやりましょう」
札幌へ帰るんだけど「何かしながら帰ろう」という安易な発想から生まれたのが、
サイコロの旅
という企画です。
「サイコロの旅」のルール
現在地から利用できる公共交通機関を番組ディレクター(主に、藤村D)が6つボードに書き出す。
サイコロを振って出た目の公共交通機関を利用して必ず指定された場所へ行かないといけない。
ゴールは札幌で、必ずしも札幌があるとは限らない(藤村Dの気分次第)。
目的は、
「札幌に帰る」
というだけの話ですが、サイコロの目に左右されるのがミソです。
なので番組では、
と言ってますが、よくよく考えると
が強いですよね?(後に、「俺がルールブックだ!」と言い出しますので)
ここからは「ネタバレ」ですので、まだ見ていない人で読みたくない方は読まないでください。
「サイコロの旅1」の内容
1996年9月12日(木)、場所は東京・六本木プリンスホテルで嬉野Dが家庭用ビデオカメラで撮影を始めたところから番組が開始しました。
番組企画で出演者の鈴井貴之さんと、HTBディレクターの藤村さん、嬉野さんは企画を知っていました。
しかし、大泉洋さんだけは、
「今夜は品川プリンスホテルに一泊し、そこで企画をみんなで考える」
と聞かされていました。
第1投目
1996年9月12日(木)午後2時18分、東京・六本木プリンスホテル前で鈴井貴之さんから企画が発表され、大泉洋さんは驚き、
「あーっと、聞いてないなぁ」
とぼやきます。
運命の第1投目のボードがこちらです。
こちらすべて「高速バス」となっています。
そして使用されたサイコロがはこちら!
「何が出るかな~、何が出るかな~、それはサイコロ任せよ、ドン」
というお昼の番組「ごきげんよう」でサイコロを投げる際に使うフレーズをそのまま使用しています。
「1,2,4」は東北地方でまだ近づく方向でしたが、ハズレは反対方向に進む「3、5」でした。
振った人「鈴井貴之」
出た目は「3」
行き先は「愛媛県・松山」
移動手段は「オレンジライナー」という高速バス(12時間30分)
という見事、ハズレを引く結果になりました。
1996年9月12日(木)午後7時、新宿駅西口にある高速バスのりばから乗車します。
第2投目
1996年9月13日(金)午前7時55分、高速バスで疲弊しながら、なんとか愛媛県松山市にある道後温泉についた「どうでしょう班」。
寝汗をかいていたので一風呂浴びようということに。
ちなみにここで大泉洋さんがスリップし、思わず出た言葉が・・・
「帰してくれんかぁ」
とうな垂れながらボヤキました(本当に帰りたそうでした)。
さて気を取り直して、次の行先を決める為にサイコロを振ります。
「1」に札幌があるというのが、藤村Dがもう帰りたいという気持ちの表れです(笑)。
そして願望も入れつつ、ネタで「6」に「謎のまち 臼杵(うすき)}を入れました。
そして見事、
出た目は「6」
行き先は「謎の町 臼杵」
移動手段は「
という結果になりました。
ここで「6」を出すあたりが、何か持ってるな~という印象でしたね。
第3投目
謎のまち、臼杵(なぞとは失礼な)に到着し、第3投目に挑みます。
出た目は「5」
行き先は「まだまだ九州 小倉」
移動手段は「
第4投目
出た目は「5」
行き先は「新幹線で新大阪」
移動手段は「新幹線」
第5投目
出た目は「2」
行き先は「新潟」
移動手段は「寝台特急「きたぐに」」
第6投目
出た目は「6」
行き先は「北海道」
移動手段は「